『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』
『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(原題:The Founder)は、
2016年に公開されたアメリカ映画です。
マクドナルドを作り上げた男レイ・クロックの人生と功罪を描き、
アメリカを代表する超巨大企業の誕生に迫った伝記映画となっています。
監督はジョン・リー・ハンコック、
主人公のレイ・クロックをマイケル・キートンが演じています。
『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』のキャスト
レイ・クロック・・・マイケル・キートン
リチャード・J・マクドナルド(ディック)・・・ニック・オファーマン
モーリス・マクドナルド(マック)・・・ジョン・キャロル・リンチ
ジョアン・スミス・・・リンダ・カーデリーニ
ハリー・J・ソナボーン・・・B・J・ノヴァク
エセル・クロック・・・ローラ・ダーン
『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』あらすじ
1954年、52歳となっていたレイ・クロックは、
ミルクシェイク用ミキサーの販売会社を経営していた。
自己啓発のためのLPが説く「執念」を信条としながら、
アメリカ中を車で回って精力的に販売活動を続けていたものの、
ミキサーの売れ行きは思うようにはいかなかった。
そんな時、カリフォルニア州サンバーナーディーノーにあるという店から、
ミキサーの大量発注が舞い込む。
クロックが自ら車を走らせ現地へ赴くと、
そこには清潔で、注文と同時に安くて味の良いバーガーが手渡され、
多くの客で行列ができている「マクドナルド・ハンバーガー」という店があった。
マックとディックのマクドナルド兄弟に案内された店内で、
クロックは彼らが考案した徹底的に効率化されたハンバーガーの製造工程に衝撃を受ける。
メニューを大胆に削減したり、効率的な導線のために厨房を特注したりと、
マクドナルド兄弟の考案したシステムを知ったクロックは、
マクドナルドをフランチャイズで拡大したいという野望を抱いたのだった。
マクドナルド兄弟は過去にフランチャイズ化に失敗していることからクロックの提案を拒否するが、クロックは粘り強く彼らを説得する。
根負けしたマクドナルド兄弟によって条件付きでフランチャイズ展開を任されたクロックは、
自らの情熱のすべてをマクドナルドの拡大に注ぎ込んでいく・・・
映画を見る前に!~ハンバーガーの歴史~
ハンバーガーの起源としてのハンバーグ
ハンバーガーの元となったハンバーグ・ステーキの由来は、
13世紀のモンゴル軍やタタール族が携帯していたという、
馬肉を細かく刻んだタルタルステーキだといわれています。
ドイツのハンブルクに伝わったタルタルステーキが
ハンバーグ(ハンブルク風)・ステーキとしてヨーロッパで定着し、
19世紀前半にはアメリカでもレストランで提供されるようになっていました。
冷凍技術が十分ではないこの時代、
ハンバーグ・ステーキは肉の保存方法として優れた方法ではありましたが、
まだアメリカの定番料理という地位を築いてはいませんでした。
1850年頃までは、豚肉こそがアメリカを代表する肉だったのです。
当時はトウモロコシを餌とした豚肉の生産が中心であり、また肉の保存方法としても牛肉より豚肉の方がバリエーション・味といった点で優れていました。
しかし、アメリカの西漸運動によってグレートプレーンズが開拓されると、
牛の放牧地として牛肉産業が発展していきます。
カウボーイによるロングドライブが行われた時代を経て、
19世紀末ごろには牛肉は幹線鉄道でシカゴや東海岸の都市へ運ばれるようになり、
移民たちの間で広く食されるようになりました。
1876年にフィラデルフィア万博で手回し挽肉機アメリカン・チョッパーが紹介されると、
それまで包丁で細かく切り刻むという手間がかかっていたハンバーグ・ステーキを作るのが一気に容易になり、広く普及するようになりました。
牛肉はアメリカにとって豊かさの象徴であり、
移民たちにとってはハンバーグ・ステーキが牛肉を食べる最も安上がりな方法として定着していきます。
ハンバーガーの誕生
ハンバーグをパンに挟んだハンバーガーを最初に生み出した店として最も知られているのは、コネティカット州ニューヘイヴンのルイス・ランチというレストランです。
1895年のこのレストランでは、創業以来同じ縦型の肉焼き機が使われています。
しかし、ルイス・ランチのハンバーガーはバンズではなくスライスしたパンで挟むタイプであり、実際はサンドイッチの一種ともいうべきものでした。
バンズを用いた本当の意味でのハンバーガーをアメリカに普及させたとされるのが、
ホワイト・キャッスルです。
ホワイト・キャッスルの登場
ホワイト・キャッスルというハンバーガーチェーンが登場するのは、
1920年代になってからです。
1916年、ウォルター・アンダーソンはカンザス州でハンバーガ・スタンドを開店しました。彼は試行錯誤の末、現代のハンバーガーの基礎となる以下のようなアイディアを生み出しました。
・パティを平らな円盤状にした
・スライスしたパンではなく白いバンズを用いる などなど
そして、彼の店の拡大に情熱を注いだのがビリー・イングラムでした。
イングラムはクズ肉が行きつく不潔な食品という当時のハンバーガーのイメージを一新していきます。
ハンバーガーの栄養価の高さを主婦層にアピールする広告を打つ一方で、
店舗を白い壁で統一するなどして、清潔なイメージを積極的に打ち出していったのです。
また、イングラムは店舗ごとの均一さ、標準化を徹底していきました。
ハンバーガーの調理法はもちろん、従業員の服装や振舞いに至るまで徹底したマニュアルを作成したのです。
1920年代のアメリカでは、フォードによる自動車の大量生産に代表されるように、
標準化された大量生産が一つの美徳となっていました。
この時代精神に則り、イングラムは標準化されたシステムを作り出し、
ハンバーガーをアメリカ中に広げていきます。
彼のシステムは多くの人々によって模倣され、
ハンバーガーはアメリカを代表する食品となり、
1940年代までにはアメリカのアイコンとしての意味合いを帯びるようになっていきました。
ドライブイン
アメリカが自動車社会へと変容していくと、
ドライブインという形態の店舗が生まれていきます。
世界初のドライブイン・チェーンは、
1921年に開業したテキサス州のピッグ・スタンドという飲食店だとされています。
カーホップというウェイターが注文から支払まで対応し、
車を降りることなく利用できるドライブインは全米に普及していきました。
しかし、食事自体はそれまでのレストランと同じように、
皿やナイフ、フォークなどと共に提供されました。
調理方法も従来と同様であり、
自動車社会の求めるスピードに対してサービスが遅いという大きな問題を抱えていました。
また、カーホップの職は条件が悪かったため、
人材の質が低く、接客レベルも最低と言えるものでした。
『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』では、
冒頭にクロックがドライブインで食事するシーンがありますが、
この問題がしっかりと描写されています。
マクドナルド兄弟はドライブインを経営して成功を収めていましたが、
こうした問題を解決するための方法を模索していくことになるのです。
参考文献
ジョシュ・オザースキー著 市川恵里訳『ハンバーガーの世紀』 河出書房新社 2010
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