『ギャング・オブ・ニューヨーク』感想 ※ネタバレあり

『ギャング・オブ・ニューヨーク』を観た。

今回はマーティン・スコセッシ監督
『ギャング・オブ・ニューヨーク』を観ました。

ニューヨークという街を舞台に、
男と男のぶつかり合いと、
それを飲み込んで流れていく時代とが、
重厚に描かれた作品でした。

今回はこの作品から感じたことを書いていきます。

あらすじ・キャスト

1861年、ニューヨーク。

縄張り争いを繰り広げる移民同士の抗争により、目の前で父親を殺された少年のアムステルダム。自らも投獄された彼は、15年の時を経て、父を殺したギャング組織のボス、ビルへの復讐を誓い、この地に帰ってきた。

素性を隠し、ビルの組織に入り込んだアムステルダムは、そこで美しくも謎めいた女ジェニーに出会い、許されない恋に落ちる・・・・・・。

Filmarksより

アムステルダムを演じるのは
レオナルド・ディカプリオ

『タイタニック』での美青年の印象が強かったディカプリオですが、
今作ではそんなイメージを払拭するようなキャラを演じました。

アムステルダムの父を殺した仇敵の
ビル・”ザ・ブッチャー”・カッティングは、名優ダニエル・デイ=ルイスが演じています。

さらに、アムステルダムと惹かれ合う女スリ師のジェニーを演じるのは
キャメロン・ディアス

そのほかに、リーアム・ニーソン
ブレンダン・グリーソンといったキャストが脇を固めます。

地獄のような新世界

物語の舞台となっているのは、
19世紀中ごろのニューヨークです。

この時代のニューヨークには、
アイルランドで1845年にジャガイモ飢饉が発生したことなどを背景に、
アイルランドから大量の移民が流入してきていました。

そんな移民たちが住み着いたのが、
ファイブ・ポインツというスラム街でした。

作中では、移民を敵視する「ネイティブ・アメリカンズ」が幅を利かせるこの場所で、
アイルランド系移民たちは団結して
「デッド・ラビッツ」を結成します。

ヴァロン神父すなわち主人公アムステルダムの父は、
「デッド・ラビッツ」のリーダーを務めますが、
1846年のネイティブ・アメリカンズとの抗争でビル・ザ・ブッチャーに倒され、
ネイティブ・アメリカンズの支配は決定的なものになりました。

ネイティブ・アメリカンズが支配するファイブ・ポインツには、
暴力・不正・貧困が蔓延し、まさに現世の地獄のような光景が広がっています。

新大陸・アメリカは、旧大陸にないチャンスが転がっている一方、
力なきもの・弱きものにとっては相も変わらず救いのない世界でした。

希望と絶望が同時に存在するニューヨークという街の空気感を、
この映画では余すところなく感じることができます。

ローマのチネチッタの大規模セットで再現された街並みや、
人々の清潔とはいえない服装など、
非常にリアリティをもって迫ってきました。

またこの時代、
当然銃はあるわけですが、
ギャング同士の争いは銃よりもナイフや鉈、斧での戦闘が繰り広げられ、
身を切られる生々しい痛みが伝わってきます。

当時の医療技術とかも考えると、
なおのこと地獄です。

ニューヨークといえば華やかな摩天楼のイメージですが、
汚れにまみれたこんな時代があったのだ、ということを知ることのできる映画でした。

父と子

さて、そんな地獄のような世界のなかで、ネイティブ・アメリカンズのボスであるビルと、
彼に父を殺されたアムステルダムとの物語が展開されます。

自分がヴァロン神父の息子であることを隠して、
ネイティブ・アメリカンズに入って頭角を現していくアムステルダム。

その過程で、ビルという男が単なる粗野な男ではなく、
この世界で支配者となりうるだけの実力や気概を持った人間であることを、
様々な場面で感じることができます。

ビルとアムステルダムは互いにその実力を認め合い、
ビルはアムステルダムを自分の息子のようにさえ感じるようになります。

互いに因縁のある関係でありながら、
そうした疑似親子のような関係性が生まれてしまうという、
その数奇な運命がこの映画の非常に面白いところですね。

やはり気になるのが、ビルはアムステルダムの正体に気づいていたのか?という点です。

気づいていた説、気づいていない説、
そのどちらも見受けられますが、

大人になったアムステルダムがビルに再会する際、
壁に飾られているヴァロン神父の肖像画を一瞥したシーンや、
暗殺未遂の夜にアムステルダムに何歳になったか聞くシーンなど、

ビルがアムステルダムの正体に気づいていたと解釈できる場面があり、
気づいていたと考える方が自然なのかなと考えています。

アムステルダムの正体を知っていたと考えると、
ビルという男の懐の深さと悲劇性がより増してくるようではないですか?

彼の正体を知っていたからこそ、
ジョニーがアムステルダムの正体を密告しに来た時の激昂ぶりにも納得できます。

何も知らないという態、
曖昧な状態であれば、
アムステルダムとの関係を維持できたかもしれないのに、
ジョニーが密告してしまったことにより、
ビルはギャングのボスという立場上見過ごすことができなくなってしまった。

なんて余計なことをしてくれたんだと、
そういう怒りが爆発したシーンのように感じます。

主人公はアムステルダムですが、
物語として強いドラマ性を秘めているのはビルの方で、
今作の主演男優賞にダニエル・デイ=ルイスがノミネートされているのも納得です。

全てを飲み込んで流れる時代

この映画の非常に面白いところだと感じたのが、物語の主軸にあるアムステルダムとビルの対立が、大きな時代の流れに飲み込まれていくことです。

物語の終盤、アムステルダムはデッド・ラビッツを復活させ、
ビルの率いるネイティブ・アメリカンズとの最終決戦に臨みます。

本来ならばこの対決の行方が最も重要なドラマとして描かれるはずですが、
今作では同じタイミングで発生した「ニューヨーク徴兵暴動」の地獄絵図に物語の焦点が移っていきます。

もちろん、果し合いの末にアムステルダムがビルへの復讐を果たす姿は描かれますが、
そこに物語の主軸としてのカタルシスはほとんどありません

むしろ、徴兵反対の運動に乗じて加速する人々の混乱や、
そこに加えられる軍隊の容赦ない砲撃、
黒人差別など、陰惨な暴力の光景ばかりが印象に残るようでした。

アムステルダム自身もビルへの復讐を果たしたことによる満足感よりも、
多くの仲間が死んだことへの悲しみに満ちた表情を浮かべながら、
ジェニーと共に西へと旅立っていきます。

そして、映画の最後に映し出されるヴァロン神父とビルの墓が並ぶ光景が、
だんだんと現代のニューヨークへと移り変わっていきます。

個人個人のドラマをすべて飲み込んで内包しながら時代は流れていくという、
非常に印象的な終わり方でした。

個人のドラマの決着以上に、
大きな時代の流れを強調するような終わらせ方をしたことについては、
2001年に発生した同時多発テロ事件が影響しているようにも感じます。

人種差別と暴力が行き着く先の陰惨さとも、
どんな悲劇的な出来事も包含してニューヨークという街は続く、とも、
様々な解釈ができるように思います。

アムステルダムとジムとの対立、その結果としてのカタルシスを求めて映画を観ると肩透かしを食らうようですが、

個人では抗いようもなく、すべての物事を飲み込んでいく大きな時代の流れを感じさせられた点において、『ギャング・オブ・ニューヨーク』は非常に面白い作品でした。

最後に

『ギャング・オブ・ニューヨーク』は、
ニューヨークという街が歩んできた歴史を知ることができる、
非常に興味深い作品でした。

3時間近い長さで手を出しにくい一作かもしれませんが、
先住者と移民との衝突のダイナミズムを、
ぜひ感じ取ってほしいと思います。

そのダイナミズムがもたらすものを考えることは、
現代の社会における我々の生き方を考えるうえでも役立つでしょう。

タイタニックの美青年からのイメージ脱却を果たそうとするディカプリオの熱演、
男が憧れる男・ビルの生きざまなどなど、
いろいろな推しポイントを発見できる映画として、
『ギャング・オブ・ニューヨーク』おすすめでした。

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